バベルの塔


 今回は創世記11章に記されている「バベルの塔」から、四国をドライブし、見てきたことを交えて書きたいと思います。

 大塚国際美術館に、「バベルの塔」の絵がありました。ルネッサンス時代のブリューゲルと ピーテルという方の作品ということです。その絵は塔といってもタワーというよりも 土づくりの巨大な建造物という感じでした。

 現在のバベルの塔のようなものも見てきました。四国は3つのルートで本州と結ばれていましたが、 それはいづれも橋によって結ばれていました。帰りに淡路島に入ったところの淡路南PAで 鳴門大橋を吊っているロープの断面を見ました。直径1m弱だったでしょうか。以前、 淡路SAで淡路海峡大橋のロープの断面を見ました。それは直径2m程あったように覚えています。 浜松にいると橋とは川を渡るために架けるものというイメージがありますが、 往復で見た吊り橋は海を挟んで陸地と陸地を結ぶ まったく現代の建築土木技術を象徴するようなものでした。 かつて人々は「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、 名をあげよう。」(11:4)と言って、神に頼らない、 人の力を誇ってバベルの塔を建てました。 それらの吊り橋は人間の力を誇る象徴のように見えました。

 バベルの塔は神様によってことばが乱されたことによって建築は中止されました。 淡路島で見た野島断層(北淡町震災記念館)はまさに自然の力の前に 人間はいかに小さな存在であるかを教えることでした。神様を認めないで、 自らの力を誇っているならば、取り返しのつかないことになってしまいます。

 坂本龍馬をはじめ幕末の時代には多くの志士たちが土佐から誕生したことを、 龍馬歴史館で見ることができました。なかなかその時代のことが整理のつかない小弟にとっては 興味深い展示でした。なぜそれほど多くの人材を輩出したのか。 龍馬たちよりも前に竹村東野という教育者がいて時勢を説き啓蒙活動をしていたことがわかりました。 そして多くの若者がそれぞれの理由で立ち上がりました。 純真に日本の将来を憂えて立った者たちもいたことでしょう。

 政治はまさに人の努力によって、よい世界を生み出していこうというものです。 優れた指導者がいて、優秀なブレーンがいて、従順な民衆がいるとき、それはうまく回っていきます。 激動の時代には、大局を私利私欲なく見極め、なおかつ人々を引きつけるカリスマ的な人材が 求められます。龍馬の生きた時代はまさに、そのような時代でした。

 バベルの塔とはまさしく人間の努力により、人が全地に散ることのないように 人の知恵によって建て始めたものでした。それは政治的な思惑で建てられたものでした。 それを考案した優秀な指導者がいたわけです。しかしそこでは最も大切なことが忘れられていました。 それはいうまでもなく神様のご存在です。まだノアの時代からいくらも経っていません。 にもかかわらず神様によって大洪水から人々が救われたことをその子孫たちは忘れ、 神様によって世がさばかれたことも忘れてしまっておりました。

 現代はいかがでしょうか。多くの人々は神様のことなど心に留めることはありません。 いかによい社会をつくるか、よい町をつくるか、よい立場に立つか、 もっぱら人間の努力をもってして成し遂げることを求めるのみです。

 幕末の志士たちの多くは志半ばで死んでいきました。龍馬も近江屋において 3人の刺客によってわずか33才にて、王政復古の大号令のわずか24日前に それを知ることなく2太刀のもとに殺されてしまいました。 そのとき海援隊長坂本龍馬とともに殺された陸援隊長中岡慎太郎もわずか30才でした。 その他にも土佐勤王党党首武市瑞山も切腹。また多くの若者は下級武士出身でしたから そのほとんどは維新の捨て石となって死んでいきました。その中でも最も哀れなのは岡田以蔵、 人呼んで人斬り以蔵と呼ばれた若者は、 剣の腕が立つゆえに要人暗殺など人斬りの立場に甘んじて雁切橋に首をさらすことになりました。

 バベルの塔は神様が介入されて人々の思惑とは反対に、人々は全地に散らされることとなりました (11:9)。幕末の志士たちはその志に反して、その達成を見ることなく死んでいきました。

 ではどうしたらよいでしょうか。神様を認めて人生設計をすること、 これこそ幸いの道ではないでしょうか。

 神様なしに人はすべてのことを成し遂げようとします。けれども神様を認めて、 神様が主イエス様によって与えようとして下さっている永遠のいのちは、 天の祝福を私たちにもたらしてくれます。永遠のいのちとは単に永遠に生きるというだけでなく、 罪の赦し、神の子とされること、天の御国を継ぐことなど、計り知れない祝福を約束するものです。

 人生をバベルの塔のように築くのではなく、 主イエス様にあって築かれることをお勧めします。