ボアズと買い戻しの権利


 ボアズのことを書いてみたいと思います。あまりなじみのない名前だと思いますが、 イエス様の先祖、ダビデの曾おじいさんにあたる人です。 このボアズのおかあさんのラハブは、 かつてイスラエルがヨルダン川を渡って最初の攻め取った町エリコの住民でした。 イスラエルの斥候を彼女は命がけでかくまいました。 それはイスラエルの神こそまことの神であることを彼女は知っていたからでした。 彼女は斥候にこういっています。 「あなたがたがエジプトから出て来られたとき、 主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと、また、 あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、 彼らを聖絶したことを、私たちは聞いているからです。 ・・・あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。」 (ヨシュア2:10〜11)彼女はイスラエルの民に加えられました。

 ボアズの奥さんのルツもまたモアブ人でした。 先にこのルツについて触れておきたいと思います。

 ベツレヘムに住んでいたエリメレクとナオミの夫婦は、 飢饉があったとき二人の息子をつれてヨルダン川東岸のモアブ人の地に移住します。 そこでエリメレクは死にます。その後二人の息子はモアブ人の女を妻に迎えます。 そのひとりがルツです。しかしその息子二人も死んでしまいます。 残されたナオミはイスラエルが豊かになったことを聞いて、帰ろうと決意します。 そこで二人の嫁を親元に返そうとしますが、 ルツは「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ2:16)と言って、ナオミについていきます。 こうしてルツはナオミとともにベツレヘムに、ナオミの嫁という立場で、来ることになります。 このルツを後にボアズが妻として迎え、オベデが生まれ、エッサイ、ダビデと続いていきます。 あとでボアズがルツを妻に迎えるいきさつを見ていきたいと思います。

 その前にもうひとつ、『買い戻しの権利』について律法の記述を見ておきたいと思います。これは現代にはない考え方だと思います。すでに「ヨシュア」のときに触れましたように、イスラエルがカナンの地に入植したとき、部族氏族に土地が分配されました(ヨシュア14〜21章)。 それは諸氏族ごとに相続地として割り与えられたものでした。生活をしていく中で、 豊かになる人もあるでしょうし、貧しくなる人も出てくるでしょう。ある場合、 土地を売らなくてはならなくなるケースもでてくるでしょう。神様はそのような場合、 親族がそれを「買い戻さなければならない。」 (レビ記25:25)と定められ、いたずらに土地が人手に渡ることを禁じられました。 またそれとは別に、ヨベルの年を定められ、 50年ごとに土地は元の所有者に返さなければなりませんでした。 もし買い戻しの権利がある親族がいなくて、土地が売買されることになっても、 そのときには元の所有者に戻ってきましたし、 売買の価格もヨベルの年までの収穫の回数によって定められることとなりました (レビ記25:10〜16)。これならば土地が投機の対称になることもないでしょう。

 さて、ナオミとともにベツレヘムにやってきたルツは、 落ち穂拾いに出かけます。神様は、貧しい人や在留異国人のために、 収穫の落ち穂を残しておくよう律法に定めておられました(レビ記19:9,23:22)。 ルツは、恥ずかしく思うこともなく、ナオミのために落ち穂拾いに出かけます。 この情景はミレーの絵を思い出しますね。ルツが出かけていった畑は、はからずも、 しゅうとエリメレクの一族、すなわち買い戻しの権利を持つ、ボアズの畑でした。 このとき休みもせずに働くルツの姿を見て、ボアズが、 「他の畑に行っていじめられることのないよう、この畑で落ち穂を拾いなさい。」 と声をかけたのが、ボアズとルツの出会いでした(ルツ2:1〜13)。

 それからいよいよナオミの知略もあって、ナオミが売る畑の買い戻しについて、 親族が決定を下さなければならない展開になります。ボアズがそのイニシアチーブをとります。 まずエリメレクから最も近い親族にあたる、買い戻しの権利のある人に、 ナオミがエリメレクの畑を売ることにしていることを告げます。 (この買い戻しの権利の順番は民数記27:8〜11の定めによることでしょう。) すると彼はそれを「私が買い戻しましょう。」 (ルツ4:4)と言います。この時点では、彼はナオミが独り者であると承知していて、 永久に彼の所有になると考えたと思います。彼には資金的な余裕はあったようです。

 そこでボアズは、ナオミの畑の売買に伴う付帯条件を説明します。 それは、ナオミには嫁ルツがいて、家名を継ぐものを設けることができる可能性があるので、 ルツをめとり子どもを設けマフロンの名を残さなければならない、ということでした。 (この兄弟の名を継ぐことは、申命記25:5,6の定めによることと思います。 この場合、第1子はマフロンの名を継ぎ、 第2子以下は結婚した人の名を継ぐということになります。)すると彼は、 「その土地を買い戻すことができません。 私自身の相続地をそこなうといけませんから。」(ルツ4:6)と言って断ります。 よくわかりませんが、第2子ができなかった場合のことを言っているのでしょうか。

 この辺の展開は、律法のある1ヶ所だけの適用ではなく、 いろいろな定めが絡んでくる事柄のようでわかりにくいのですが、 ただこのとき立ち会っている町の長老10人や立ち会っていた人たちが納得し、 後でボアズを祝福している様子を見ると、ボアズの律法の適用が正しかったことを 証明していると思います(ルツ4:11〜12)。

 このような展開を経て、ボアズはナオミから土地を買い取り、ルツを妻として迎えます。 神様はこれを祝福し、ルツはみごもり男の子オベデを産みます(ルツ4:13)。

 ボアズはイエス様の先祖になりますが、イエス様のひな型としても見ることができます。 それは再三見てきた「買い戻し」に関してです。

 ボアズはエリメレクの畑を買い戻しました。 どれだけの代金を支払ったかは記されていませんが、ボアズが代償を払いました。 また第1の買い戻しの権利を持つ者が自分の相続地をそこなうリスクを回避しましたが、 ボアズはそのリスクをも負ったのです。私たちのイエス様も、罪の支配下にある私たちを、 その主人である罪から解放してくださるために十字架の上で血により 罪の代価を支払ってくださいました。大きな犠牲でした。 神の御子の命が私たちの罪のために支払われたのです。

 そしてまたもう一つのことを考えてみたいと思います。 それはボアズが第2の買い戻しの権利を持つものであったということです。 第1ではなかったのです。権利、権利と言っていますが、それは義務でもありました。 どうしてもそれを行使しなければならない立場ではなかったのです。 私たちのイエス様もどうしても私たちを罪から 贖いださなければならないということはありませんでした。神を無視してきたものですから、 滅びを刈り取っていったとしても何の関心も示す必要はありませんでした。 ではどうしてボアズは買い戻すことにしたのでしょうか。 それはルツに対する気持ちにあったと思います。 ルツがボアズの畑で落ち穂拾いをしていたときに、 ボアズが声をかけたことは先に触れました。 そのときルツが「私が外国人であるのを知りながら、 どうして親切にしてくださるのですか。」(ルツ2:10)と尋ねると ボアズは「あなたの夫がなくなってから、 あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、 これまで知らなかった民のところに来たことについて、 私はすっかり話を聞いています。」(ルツ2:11)と答えています。 ボアズは早くからルツに関心をもっていて、好意的に思っていたことがわかります。 私たちのイエス様は、神様が私たちを愛してくださっていたように、 イエス様も私たちを愛してくださいました。それゆえ、 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、 神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、 仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、 実に十字架の死にまでも従われたのです。」(ピリピ2:6〜8) このことを何の躊躇もなくなさってくださいました。

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