学者エズラの功績


 旧約聖書の歴史書の中で年代では最後に位置するネヘミヤ記からお話しします。 最終回になります。旧約聖書を卒業し、 次のステップ=新約聖書への橋渡しという意味で、学者エズラの功績を、 お話ししたいと思います。それは一言で言うと、 聖書(律法)を民のものにしたということです。

 BC539、バビロニア帝国に代わって支配者となった ペルシャ帝国のクロス王の勅令により、一部のユダヤ人がエルサレムに帰還し、 多くの困難を乗り越えて、神殿を再建(BC516)、続いて城壁を再建(BC444)します。 神殿の再建には総督ゼルバベルと祭司であり学者であるエズラが、 城壁の再建には総督ネヘミヤが大きな働きをしました。 このようにしてエルサレムの町が再建され、 「第七の月が近づくと、民はみな、いっせいに、 (城壁の)水の門の前の広場に集まって来」 (ネヘミヤ7:72〜8:1)ます。

律法の朗読

 そして民は「モーセの律法の書を持って来るように、 学者エズラに願」(8:1)います。 「そこで、第七の月の一日目に祭司エズラは、 ・・・律法(の書) を・・・朗読し」(8:2,3)ます。また「 (レビ人) が神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、 民は読まれたことを理解し」(8:7,8)ます。その結果、 民は先祖以来の神に従ってこなかった罪を告白し、悔改めの涙を流す(8:9,9:2) とともに、神にある喜びに満たされます(8:10〜12)。

 「二日目に、・・・民の一族のかしらたち ・・・は、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来」 (8:13)ます。そして「第七の月の祭りの間、 仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出し」 (8;14)、喜んでその通りに実行するのです(8:15〜17)。実はこのことは イスラエル人がカナンの地に入植した 「ヨシュアの時代から」(8:17) このときまで実に1000年近く行われていませんでした。 「それは非常に大きな喜びで」(8:17)した。

 そして祭りの7日間、律法が毎日朗読され、 8日目にきよめの集会が律法の定めに従って行われました。

 さらに総督ネヘミヤを始め、祭司、レビ人、 民らによって大胆に律法に回帰するよう改革が行われました(13章)。

 律法が朗読されたことによって信仰の復興が起きたのです。

 実はこのようなことは、このときが初めてではありませんでした。 かつてヨシヤ王の時代にも律法が読まれたとき、 同様にすばらしい信仰の復興がありました。(U列王記22章、U歴代誌34章)

 そして教会時代になっても、その原則は同じです。 16世紀の宗教改革をもたらしたのも、聖書への回帰でした。 代表的に語られるのがマルティン・ルターです。 アウグスティヌス修道会の修道司祭であったルターが、 「ローマ人への手紙」から自らが苦しみ悩み続けていた罪の性質の問題、 つまりいくら罪を犯さないように、またよい行いをしようとしても、 そうではない自分という存在がある、という現実への解決が、 そこにあることを見出します。 それは「人が義と認められるのは、 律法の行ないによるのではなく、信仰による」(ローマ3:28)という真理でした。 聖書をよく読んで知ったのです。

 その後、免罪符(贖宥状)の問題から「95ヶ条の提題」を ヴィッテンベルク城教会の扉に掲示したことが発端となって カトリック教会を破門になり、命の危険を回避するためヴァルトブルク城に かくまわれている間のAD1521に新約聖書を、そして後のAD1534に旧約聖書を ドイツ語に翻訳して、聖書を誰もが読むことのできるものとしました。 その過程で、それまでのカトリック教会の欺瞞が明らかになり、キリストこそ 救いに至る道であることに人々が目覚め、生き生きとした信仰の復興がもたらされました。 ルターが読み、人々が聖書を読んだときに起きたのです。

 19世紀にはヨーロッパ各地で形骸化した教会から多くの小さな集まりが起こされました。 聖書を熱心に学びその教えの通りに忠実に歩みたいという人々が、 集会のかしらはキリストであることなど、単純な集会の真理に目覚めた結果でした。

 このように聖書に回帰するとき、神様はそのみことばに予め記しておられる真理を 明らかにしてくださり、喜びと祝福に導いてくださるのです。

 ですからぜひとも聖書を読んで溌剌とした信仰生活のスタートを 切ってほしいと思います。

旧約聖書の成立

 旧約聖書39巻は「モーセの五書」、「歴史書」、「詩歌」、 そして「預言書」から構成されています。

 「モーセの五書」のうち、「創世記」と「出エジプト記」はBC8世紀中頃までにでき、 「申命記」はBC621、ヨシア王により、そして「レビ記」と「民数記」はBC500頃、 祭司たちにより、編集され、BC400頃、旧約聖書正典になりました。

 また「歴史書」、「預言書」もBC300頃までに編集され、旧約聖書正典になります。 「歴史書」のうちの「歴代誌T」、「歴代誌U」、「エズラ記」、 そして「ネヘミヤ記」は、エズラの著作であると伝えられています。

 これを成し遂げたのは、BC410頃、ネヘミヤによって創設され、 エズラが議長を務めた、120名からなる議会でした。BC275頃まで、 その役割を果たしました。

会堂の設置

 イエス様の時代にエルサレムにあった神殿は、ゼルバベルの神殿をヘロデ王が、 ユダヤ人の歓心をかうために、46年かけて大増築した(ヨハネ2:20)神殿でした。 そこでは旧約時代同様、いけにえがささげられていたようです(ヨハネ2:14)。 けれどもそれとは別に、各地に会堂が設けられていたことが見受けられます。 律法にもその教えはなく、旧約聖書の記述にもないものです。 でもイエス様も(マタイ4:23他),後にはパウロを初めとする使徒たちも(使徒9:20他)、 会堂で聖書を朗読し、教え、また御業を行いました。イエス様が、 ご自分が「主に油注がれたもの(メシア)」 であることを明言されたのも、ナザレの会堂でのことでした(ルカ4:16〜21)。

 いつから何の目的で会堂が設けられるようになったのでしょうか。

 起源はおそらくバビロン捕囚時代にユダヤ人コミュニティーの場として 各地に設けられたものと思われます。その後、エルサレムに帰還し、 神殿が再建されました。旧に復するだけであればそれで十分でしたが、 エズラは、神殿は礼拝の場所として捉え、それとは別に、広く、 民がみこころを親しく知ることができるよう、聖書が朗読され、説き明かされ、 聖書に基づいて御民に恵みの御業が行われる場所として、 イスラエルの各地に会堂を設けたと思われます。

 そしてイエス様の時代には、イエス様が会堂を利用しているその様子から、 実に有効であったと想像することができます。

 さらに、使徒たちの時代には、ユダヤ人が移り住んだ各地に会堂が設けられており、 使徒たちもまず、新しい地で伝道するとき、まず会堂でユダヤ人に向かって イエス様のことを語った様子が「使徒の働き」の随所に記されています。

写本

 もうひとつ、エズラの功績として考えていいと思うことがあります。 それは聖書の編集や会堂の設置と関連することです。聖書を大衆のものとするため、 各地の会堂に聖書の写本が置かれ朗読されるため、 大々的に複写を始めたと考えられます。

 聖書の中で「学者」という肩書きで呼ばれているのは、 エズラが最初です(エズラ7:6)。でもイエス様の時代には律法学者と呼ばれる人たちが 跋扈していました。かつて聖書(律法)を捨てたユダヤ人は偶像礼拝に走り、 捕囚という神様のお仕置きを受けました。エズラにより聖書に帰ったユダヤ人は、 神の民である誇りを取り戻すのですが、今度は行き過ぎてその趣旨ではなく 形だけを追いかけるようになり、 イエス様により律法学者は「偽善者」と呼ばれるようになってしまいます。

 それはさておき、初期の聖書学者のもっぱらの仕事のひとつは、聖書(律法)を正確に、 一字一句まちがえないで書き写すことでした。それは大変な作業であったと思います。 何せ、コピー機はもちろんありません。写しまちがいをしても、 修正液も消しゴムもありません。まちがえないように、まちがえないように、 大変神経質な仕事であったでしょう。

 でもそのおかげで、ユダヤ人は、神に選ばれ愛された神の民である自覚を持つとともに、 来るべきメシア(救い主)への希望を持つことができました。

 ルターがドイツ語に聖書を翻訳することによって「信じるだけで救われる」 という福音の真理が大衆のもとに取り戻されたのと同じですね。

死海写本

 脱線しますが、「死海写本」というものをご存知でしょうか。AD1947、 ベドウィンの少年が死海北西岸の洞窟で壷に収められていた巻物を発見してから、 その付近の洞穴から見つかった巻物の写本をいいます。その数、 実に850巻あまり。イザヤ書全巻をはじめほぼ旧約聖書全巻の断片が見つかりました。 BC2世紀〜AD1世紀の間に書かれたものです。そしてなんとその死海写本と 現在のヘブライ語聖書の基準としている「アレッポ写本」(AD930)との間に ほとんど違いがありませんでした。 実に1000年間も正確に書き写し作業が行われていました。

聖書を読みましょう

 旧約聖書最後の歴史書であるネヘミヤ記の最後は、エルサレムに帰還したユダヤ人が やっと聖書(律法)に回帰したところで終わっています。 まだしっかり腰が座った様子ではありません。しかし新約聖書の福音書では、 ユダヤ人社会に聖書(旧約聖書)が根付いているとともに、 一部律法学者たちのように行き過ぎてしまっている人たちも登場します。 この旧約聖書と新約聖書のギャップを埋めるものは何か、と問えば、 このエズラの功績にある、と言えるのではないでしょうか。

 聖書を編纂し、会堂を建て、写本を指導し、 聖書を教えることのできる学者を育てました。その結果、 聖書を説き明かされたユダヤの大衆は、誇りとメシアの待望を抱きます。 イエス様を迎えるステップへと進んでいくのです。

 今、私たちは、自由に聖書を読むことのできる恵みに与っています。 ぜひ聖書を読みましょう。聖書が「書かれたのは、 イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、 また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためで」 (ヨハネ20:31)すから、誠実に聖書を読めば誰でも、神の御前における罪が示され、 悔改めに導かれるとともに、真の人生の目的を持って、 イエス様に従って歩み出すことができます。