ノアの箱舟


 ノアの箱舟は創作物語だろうか。いいえ、昨今の科学や世界各地の伝承は、ノアの箱舟が事実であったことを実証してくれているようである。

 1952年、フランスのフェルナンド・ナヴァラ氏が、アララト山に登った際、氷河の上に巨大な船体らしき陰を発見する。2年後、改めて調査して、船を支える梁の一部らしきものを採取する。彼はエジプトのカイロ博物館にその黒ずんだ木片を持ち込んで鑑定してもらう。すると驚くべきことが判明する。材質は糸杉であって、聖書の記述と一致し、加工のあとも見られた。さらに年代測定の結果、紀元前3,000年から4,000年のものであることもわかった。これもまた、聖書の記述と一致している。

 その後、1959年、トルコ空軍が撮影した航空写真には、半分地中に埋まった長方形の船のような形がはっきり写っていた。さっそく現地を調査した結果、なんとその箱形地形の大きさは、縦150メートル、横40メートルと聖書に書かれている箱舟の大きさとほぼ一致した。

 最近も、地元のトルコ人が、箱舟の一部らしき2,3の木片を見つけたという。これらの科学的データと過去の様々な目撃情報を総合的に判断すると、ノアの箱舟は北緯39゜26′4″、東経44゜15′3″、海抜1870メートルの地点に眠っているという。

 たいへん不思議なことに、世界が洪水に見舞われ8人の家族だけが箱舟に乗って助かった伝説は世界中いたるところにあるのである。漢字でも「船」という字は、舟に八つの口(人)と書くのはそのことに由来すると思われる。全世界の民族がこの8人の家族から生まれたこともそれぞれの伝説と聖書の記事の一致するところである。

 ではなぜ大洪水が起こったのであろうか。聖書を開いてみよう。「神は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで神は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして神は仰せられた。『わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。・・・』」神の御心に反して悪に染まった世界を、神は水をもってさばかれたのである。

 現代の社会はどうであろうか。人の悪は増大していないだろうか。今まさに環境問題が声高に叫ばれている。オゾン層の破壊、ダイオキシン、等々。これはそもそも自己の利益のみを追求しての生産活動に励んできた結果である。学校や家庭を取り巻く環境はどうだろうか。豊かな生活を求めて母親が社会に出ていったため、子どもは家庭での愛情を十分に注がれないで育ち、愛情を求める裏返しのように、いじめ、万引き、覚醒剤、外泊等々をするようになってしまっている。もちろん人にはバランス感覚があって、一気に崩壊することはないけれども、確実に、人の悪は増大しているといえないだろうか。もしそうならば、神がもう一度、この世界をさばく日が迫っているといえるだろう。

 神はノアの時代に大洪水でさばきをなさった後、「もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない」と宣言された。けれどもそれは悪に対するさばきはもはやないというのではなく、ただ地を水によって滅ぼすことがないといわれただけであって、私たちは生涯の終わりに神の御前に立ち、神の御心を痛める生涯でなかったかを問われる。聖書は告げている。「義人(正しい人)はいない。ひとりもいない」と。であるならば私たちは、聖書によれば、永遠のさばき、水によるのではなく火と硫黄のつきることのない地獄のさばきに行かなければならないのである。

 救いはないのだろうか。神はかつて箱舟を用意されたように、今、イエス・キリストの十字架による救いの道を用意されている。私たちに下さるべきさばきは十字架上のキリストに下され、キリストが私たちの身代わりとなってくださったので、そのことを感謝し信じ受け入れるならば救われるのである。ノアの時代、箱舟にはいるように呼びかけるノアの声に耳を傾けて助かったのはわずかノアの家族8人だけであった。人々はそれまで雨が降るという経験をしていなかったであろうから、水が出て人々が死ぬということは考えられないことであって、ノアの呼びかけはまったくバカげたこととしか思われなかっただろう。今も同じである。多くの人々は、神によってさばかれるときが来るなどと考えもしない。けれども神の呼びかけに耳を傾けないことは愚かなことである。ノアは救いの箱舟を用意するのにたいへんな時間と労力を費やした。神は私たちを救いに導くために、ご自分の愛するひとり子イエス様を犠牲にして下さった。

 どうか、この神の呼びかけに心を留め、はたして神がこの世界を、また私たちひとりひとりをさばかないでおかれることがあるか、お考えになってその救いの道を見いだしていただきたい。


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