神の怒り
「神の怒りが天から啓示されている。」(ローマ1:18) 穏やかではありません。どうして神様は怒っておられるのでしょうか。「神を知る」ということがキーワードになるようです。3回、使われています。人が「神について知りうることは(被造物によって)明らかである」(1:19)し、そもそも潜在的に神に似せられて造られているので「神を知ってい」(1:21)るけれども、都合のよい偶像を代わりとしている(1:23)。さらに「神を知ろうとしたがらないので」(1:28)、人はますます悪に陥ってしまっている。それゆえ神は、神に対するその不敬虔と不正に対して怒りを示さないではおられない、それを放置していたのでは、人は滅びてしまう、怒りを示すことによって、救いの道=福音に気づくようになさっているのだ。
人の世界はなぜ罪に満ちている?
「それゆえ」(1:24)以下は、あまりうれしくないことばの列挙になっています。「それゆえ」ですから、その前にそうなった原因が明らかにされているわけです。それは神について被造物によってはっきり知ることができるのに、「その神を神としてあがめず、感謝もせず」(1:21)、神の代わりに人間、鳥、獣、はうものを神として拝んでいる(1:23)、これが原因です。神を認めないことこそ知者だと、科学的だと、人々は考えますが、実は、それはたいへん愚かなことであり、罪を刈り取ることになっていることに、気づいていないのです(1:22)
神を捨て偶像に走った結果
神を捨て偶像に走った人間を、神は3つのことに「引き渡され」(1:24,26,28)たと言います。ひとつめは「心の欲望のままの汚れ」(1:24)、その結果は「互いにそのからだをはずかしめるようになりました」(1:24)。ふたつめは「恥ずべき情欲」(1:26)、つまり同性愛です。そして3つ目は「よくない思い」(1:28)で、その結果は、21の罪の項目が挙げられています。いつの時代も、人間の社会はこのとおりではないでしょうか。善良に生活していても、ひとたび歯車が狂えば、いつでもそれは形になって現れ新聞をにぎわすことになるのです。
ソドムとゴモラの滅亡
しかし罪を隠そうともしない町が歴史上、ありました。ソドムです(イザヤ3:9)。ソドムとゴモラは、硫黄の火によって滅ぼされました(創世記19:24,25)。その罪がきわめて重かったからです(創世記18:20)。
話は脱線しますが、信仰というと、何か強い思い込みのように思う人もいらっしゃるかもしれませんが、聖書を信じる信仰はそのようなものではありません。事実の上に基づくことです。科学が発展するにしたがって聖書の記述の確かさが明らかになるケースがよくありますが、このソドムとゴモラの滅亡も考古学の発見からその期日まで特定されています。それは紀元前3123年6月29日未明です。
1849年にイギリスの考古学者ヘンリー・レイヤードにより、古代シュメール文明のニネベの王宮図書館の遺跡から見つかった粘土板に描かれた「星図」が150年以上経ってアラン・ボンドとブリストル大学のマーク・ヘンプセルによって解明されました。その星図にはふたご座や木星などの惑星の他にアピンと名づけられた矢印があり、そこに「5時30分頃、4分半かけてアピンは地上に落下した」という記述がありました。
アラン・ボンドがコンピュータにより粘土板に記されている夜空を再現したところ、それが紀元前3123年6月29日未明で、アピンの記述は典型的なア天軍小惑星の落下の記録とされました。その小惑星の大きさは直径1.25km。ギリシャ上空で大気圏に突入しアルプス上空で爆発、その破片が900km上空まで達し大気圏に再突入して地中海を越えソドムとゴモラのあった死海周辺まで及んだとされています。
破片は摩擦熱を帯び、瞬間的に地表温度は400℃まで上昇したということです。
神様は、ソドムとゴモラを滅ぼすために、しっかりと天体を操作されていました。
ソドムとゴモラの罪
主によって「彼ら(ソドムとゴモラ)の罪はきわめて重い」(創世記18:19)という罪はどのような罪だったのでしょうか。
まず「よこしまな者」(創世記13:13)とあります。国語辞典には「正しくないこと。道にはずれていること。また、そのさま。」とあります。また「高慢で、食物に飽き、安逸をむさぼり、乏しい者や貧しい者の世話をしなかった。」(エゼキエル16:49)とあります。これらはローマ書1章で、神を捨てた結果引き渡した3つめの事柄「よくない思い」(1:28)の結果として記述されていることと同じです。そして続けて「わたしの前で忌みきらうべきことをした」(エゼキエル16:50)とも指摘しています。これはローマ書1章で神を捨てた結果引き渡した2番目の事柄「恥ずべき情欲」(1:26)でしょう。これがダメ押しになったのではないでしょうか。
主は、アブラハムを祝福し(創世記18:10)、またソドムとゴモラの様子を見るために(創世記19:21)、ふたりの御使いを伴い、地上においでになりました(創世記18:2)が、アブラハムとの会話の後、ソドムにはふたりの御使いだけを遣わされました(創世記19:1)。ソドムに住んでいたアブラハムのおいのロトがふたりを家に迎え接待していると、町の人たちがやってきて家を取り囲み、そのふたりの引き渡しを求めます。公然と皆で男色をしようというのです。完全に性的な理性は崩壊していました。これに対応したロトは拒否しますが、その代償として自らのふたりの娘の貞操を差し出すのです。目をおおいたくなるような、耳をふさぎたくなるような展開です(創世記19:4〜8)。これがソドムの罪であり、ソドムの影響を受けたロトの姿でした。
神様は、アブラハムとの約束のゆえにロトを助け出されますが、ロトがツォアルにたどり着くや否や、天から硫黄の火を降らせ、ソドムとゴモラは壊滅しました(創世記19:12〜29)。
現代社会
現在、同性愛が認められている国地域は、ヨーロッパではオランダ、ベルギー、スペイン、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガル、アイスランド、デンマーク、フランス、ルクセンブルグ、南北アメリカではアルゼンチン、カナダ、ウルグアイ、ブラジル、メキシコ、USAの18の州、アフリカでは南アフリカ、そしてアジア・オセアニアではニュージーランドの計19ヶ国です。日本ではもちろん認められていません。
2006年7月29日、LGBT(レズビアン、ゲイ、両性愛者、異性装同性愛者の人々)の権利の擁護と国際人権法確立を目的とした「モントリオール宣言」が採択され、性的指向による差別禁止や社会参加の観点から、同性結婚や登録パートナーシップ制度の必要性が盛り込まれました。この後からNHKでも盛んに同性愛者を擁護したり積極的に登用するようになり、たいへん違和感を感じています。社会全体がこのような罪を隠しごとにするのではなく容認するように大きく舵を切ってしまったのです。世界全体がソドムとゴモラと同じ様相になってしまっているのです。これは神を捨てた結果です。
ロトはソドムに住んだためにソドムの町の影響を受けました。あなたはいかがでしょうか。現代社会の影響は受けていないでしょうか。神の怒りとは無縁でしょうか。
福音
最初に戻ります。
ソドムとゴモラの「人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から」(ローマ1:18)下されました。現代社会の「人々のあらゆる不敬虔と不正に対して」はどうでしょうか。すでに「神の怒りが天から啓示されている」(1:18)とパウロは語ります。「啓示されている」、すなわち、まだ猶予がある。その間に神の怒りを回避する術を見出しなさい、と言います。
けれども実はすでに、その術は先に語られています。「神の義が啓示されてい」(1:17)る、とあるように、人の義によらない、神の義による、すなわち、御子イエス様の十字架による贖いという、神が備えてくださった救いを信じるだけで救われるという福音がすでに示されています、と言います。
神を無視した罪から、多くの罪が派生してきました。罪にはさばきが必然です。しかし救いの道が福音という形で示されています。この福音をよく知って、神様との和解を得ていただきたいと願います。すばらしい祝福が待っています。