らい病
(ハンセン病)


 今回はハンセン病(らい病)のことを書いてみようと思います。 熊本地裁で原告が勝訴してから盛んにニュースで取り上げられ、 小泉総理が上告しないですべての患者、元患者に対して賠償することを宣言して、 決着となりました。小生は政治については論じる気はありませんが、たいへんよかったと思います。

 ハンセン病がかつてはらい病といわれていたこと、また伝染病であることやその症状についても ご存知であることと思います。聖書にはらい病がでてきますから、 小生も多少の知識と関心がありました。家内の父親は若いときクリスチャンになり、 やはりらい病に関心をもってらいの療養所に行きましたから、そのときの話をよく聞きました。 その恐ろしさは「ベン・ハー」の中でもみることができました。そこでは「業病」と訳されていました。

 聖書の記述では、先にアロンのことを取り上げさせていただいたときに、 神様から授かった律法の中からレビ記16章に記されている「贖罪の日」のことについて触れました。 そのレビ記13,14章に「らい病」のことについて記されているのです。 モーセやアロンは紀元前1300年ごろですから、すでにそのときにはらい病があったわけです。 実は文献を調べていたらエジプトでは紀元前2400年ごろのパピルス文書に記録があるそうです。

 レビ記の13章はらい病の診断の仕方が書かれています。 そして14章には快癒したものの受入れについて書かれているのです。 日本政府はこの点について躊躇があったわけですね。 別に現代の日本政府だけでなく 歴史的に社会復帰を行なってきた記録はないのではないかと思います。

 らい病が世界的に蔓延したのは十字軍による大移動によるようですが、 13世紀にその頂点に達したようです。 この病気を防ぐ唯一の手段はその時代も隔離しかありませんでした。 実はレビ記13章の記事もそのとおりなのです。そしてつい最近までそうでした。

 13世紀に頂点に達したらい病は14世紀になると減退期に入ります。 もちろん隔離政策が効を奏しはじめたということもありますが、 流行にとどめをさしたのは、1348年の黒死病(ペスト)の流行でした。 これによって隔離されていたらい患者がいっそうされてしまったのです。

 前回アロンについて書きました。らい病の診断をするのも祭司の仕事でした。 それはたいへん慎重なもので、きよい者をらい病に定めることのないようよく配慮されています。

 そして問題は社会復帰です。これについても実に明確に書かれているのです。 神様はひとりひとりを大切に思われています。 ですからきよくなったものは受け入れられるべきであることをよく記しています。 ここが人と神様の大きな違いではないでしょうか。

 聖書ではらい病は罪の象徴のように記されています。罪は取り除くことができないばかりか、 伝染病のように広がっていきます。治療の方法がないのです。ただ死を待つだけなのです。 「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」 (ヤコブ1:15)とあるとおりです。

 けれどもこのらい病をいやした人が聖書には登場します。言うまでもなくイエス様です。 「すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。 「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」イエスは手を伸ばして、 彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。 すると、すぐに彼のらい病はきよめられた 」(マタイ8:2,3)  バプテスマのヨハネが弟子をイエス様のもとに遣わしてたずねました。 「おいでになるはずの方は、あなたですか。 それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」  イエス様の答えはこうでした。「「あなたがたは行って、 自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。盲人が見、足なえが歩き、 らい病人がきよめられ、 つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。」」 (マタイ11:4,5) イエス様はらい病をきよめることのできるお方でした。 そして私たちの罪からもきよめることのできるお方となりました。 しかしそれは十字架という大きな犠牲が必要でした。

 この記事は印象的です。「ある村にはいると、 十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、 「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。イエスはこれを見て、言われた。 「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、 大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。 彼はサマリヤ人であった。そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。 九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、 だれもいないのか。」それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。 あなたの信仰が、あなたを直したのです。」」(ルカ17:12〜19)  イエス様にいやされることを願う人は多くいます。救われることを願う人は多くいます。 しかし救われて神を礼拝する人は実に少ないのです。 イエス様はすべての人を罪の病から救い出すために十字架にかかってくださったのですが、 それを受け入れて救われ感謝する人は少ないのです。

 ナアマン将軍はエリヤから言われたらい病の癒しの方法があまりに簡単であったために、 怒って去ろうとしました。しもべの進言により気持ちを取り直してヨルダン川に身を沈めました。 するとらい病は癒されました。 初めナアマン将軍は仰々しい方法でいやしてくれるものと想像していました。 多くの宗教もそれに応えるようなシステムです。けれども簡単でした。 信じて素直になることが大切です。 救いもまったく同じであることが言えるのではないでしょうか。

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