重症心身障害者の家族の方へ

死の向こう


 ダビデ王の幼子が生後まもなく病気になった。ダビデ王はその子のために神に願い求め、断食して引きこもり、 一晩中、地に伏していた。しかし7日目にその子はなくなってしまった。 家来たちは、その子が死んだことをダビデ王に告げるのを恐れた。もし告げるなら、 その者は殺されてしまうに違いないと考えたからだ。 それほどダビデ王の幼子のいやしへの願いはすさまじいものであった。

 ところがダビデ王は、家来たちがひそひそと話しているのを見て、その子の死んだことを悟った。 すると、ダビデ王は起き上がり、からだを洗って、着物を着替え、礼拝して、食事をとった。 家来たちはその行動を見て不思議に思い、恐る恐る尋ねた。

 「あなたは、お子さまが生きておられる間は断食して泣かれたのに、お子さまがなくなられると、起き上がり、 食事をなさる。いったいどういうことですか」。

ダビデ王は答えた。「私が断食して泣いたのは、もしかすると神が私をあわれんでくださるかもしれない、 と思ったからだ。しかし子どもは死んでしまった。あの子をもう一度、呼び戻せるだろうか。 私はあの子のところに行くだろうが、 あの子は私のところにもどっては来ない」。

ダビデ王は、死んだ後、天国でその子と再び会うことを確信していました。 なぜダビデはその子が天国に行くと確信できたのでしょうか。ダビデが神を信じていたからでしょうか。 いいえ、それは『幼子が罪を犯していないから』と私は考えます。

私のひとりの子どもは生後10ヶ月のときにかかった病気のため重症心身障害者になってしまいました。 彼は自分では何もすることができません。けれども、私たちには慰めがあります。 それは、『彼が罪を犯すこともない』ということです。 ですからダビデ王の幼子と同じように天国が約束されているのです。

そう理解すると、重症心身障害者の子どもをもつ方にとって慰めではないでしょうか。 その子はこの地上では不自由でも、約束されている天国では栄光のからだが与えられ自由に活動ができるのです。 神様は、永遠という時間の中で考えると本当に平等な御方です。

 しかし、ここで新たな問題が起こります。健常者である両親はじめ介護に労されておられるまわりの方々は、 その慰めを与えてくださる神の御前に、はたして死後、その子と同じように立つことができるでしょうか。 天地万物を造られ、私たちを生かしてくださる神様を認め、その御前をつぶやくことなく歩んできているでしょうか。 もし、そうでなければ、同じ神の御前に罪あるものとさばかれ、子どもと別のところ、 そう地獄に行かなければならないのです。

私の母は、事故がもとで、長く意識がなく寝たきりの状態でした。 父をはじめ私たちはいやされ回復することを願いましたが、1年半の後、天国に召されました。 けれども、いやされることよりもイエス・キリストの十字架の御業による罪の贖いと永遠のいのちを いただいていることのほうが、はるかに素晴らしいことを私たちはよく教えられました。

人のいのちは、70年か、健やかであっても80年にすぎません。生まれながらの能力は人によってみな違います。 しかし、永遠という時間の中で考えると、罪を問われない重症心身障害者は、最初から、 神に愛されている特別な存在です。そしてそのお世話をなさっておられる方々はたいへんだとは思うのですが、 その子を通して、イエス・キリストを見出すなら、やはり特別な恵みにあずかっていると思うのです。 神は、罪の責任を問われます。健常者こそ、死とその後を考えなかったら、永遠の不幸になるのです。

イエス・キリストは、私たちの罪を解決するために、十字架の上で神よりのさばきを、 私たちに代わって一身に受けて、天国への道を用意してくださいました。嘆くのをやめ、子どものことから、 イエス・キリストを見出してください。

あなたも、あなたの子も共に、天国で主イエスにある永遠の慰めを手に入れられますように。


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